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マクザム
グループ:DVD
ランキング:11438
価格:¥ 2,372
発売日:2008-03-28
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カスタマーレビュー ![]()
戦争の意義
(2008-12-04)
第二次世界大戦は未来を作ったものであり壊したものである。
正しいかどうかは当事者にも分からない。
そんな無責任かつ暴走とも言えるもの。
しかし現在の日本で未来を信じてのうのうと生きてられるのも
戦争があったからかも知れない。
正直目を覆いたくなる。
だけど背けてはいけない。
戦争の正当性なんてどうでも良い。
ただ、原爆は戦争を早く終わらせるには有効だったが
それに対する見返りは大きかった。
同じことを繰り返さないための資料と化してしまうのも
避けようのないことかも知れないけど
何があったかを学生時代に頭に入りきらなかった自分には
十分すぎるパンチ力を持つ映画でした。
制作したことに評価
(2008-08-06)
原爆を扱ったドキュメント映画は数少ない…ゆえに様々な評価が出てくるのは仕方ないかもしれない。日系アメリカ人が制作したドキュメントとして観ればいい。内容的に多少、被爆者への無理解が散見されるが、それらを差し引いたとしても力作といえる。
前出コメントの自虐史観云々は幼稚過ぎて問題にならない。多様な歴史観から真実を見出す術を若者に教えることができなかった、歴史に無頓着な大人たちの責任だろう。
日本人の中から優秀なドキュメント作家が今後、出現することを願うのみである。
生きる勇気
(2008-08-06)
新藤兼人『原爆の子』(1952年)
アラン・レネ『二十四時間の情事』(1959年)
真崎守『はだしのゲン』(1983年/1987年)
黒木和雄『TOMORROW明日』(1988年)
今村昌平『黒い雨』(1989年)
黒木和雄『父と暮らせば』(2004年)
佐々部清『夕凪の街 桜の国』(2007年)
スティーブン・オカザキ『ヒロシマ ナガサキ』(2007年)
ヒロシマ・ナガサキ原爆を直接的に描いた映画作品をザッとあげてみると意外に少ないことがわかる。「原爆を投下された原因は日本の軍国主義にあるのであって、実際投下した米軍には何ら責任がない」というロジックのもと、戦後25年もの長きにわたって米国による言論統制が行われてきたことが一因であることはまちがいないだろう。しかし、ナチスによるユダヤ人虐待に関する映画が毎年のように数え切れないほど作られていることを考えると、上記映画本数はあまりにも少なすぎる。(しかも内2本は外国映画というふがいなさ)
日系3世のスティーブン・オカザキが、なぜ今になって原爆の真実を伝えるドキュメンタリーを撮ろうとしたのか。原爆を体験した生き証人の存命中に、その生の声を記録に残しておきたかったというオカザキの“焦り”が本作品の制作に向かわせた理由だという。映画は被爆者14人の痛々しいインタビューとイメージ画、そして(食事時は絶対に避けた方がよい)カラー動画フィルムによって構成されており、被爆間もない姿をとらえた映像はあまりにも生々しくてまともには見ていられなほどである。
この作品を見た後、やれアメリカ人は反省の色が足りないとか、核保有は絶対にやめるべきなど等のわかりきった議論を蒸し返してもいまさら仕方がないような気がする。米国人の原爆関係者が劇中述べていたように、われわれ人間がパンドラの箱を開けてしまったという認識を強く持つことがむしろ重要なのではないだろうか。原爆投下後60年以上たった今でも消えることのない被爆者たちの肉体と心の傷跡をせめて忘れないことが、世界唯一の被爆国の末裔としての義務だと思うのだ。
「人間はギリギリの状況に追いつめられると、生きる勇気と死ぬ勇気の選択をせまられる。私は生きる勇気を選びました」と語っていた被爆者の言葉が印象的だった。
心にズシリ...
(2008-08-05)
監督は日系のアメリカ人で、数人の被爆者たちのインタビューを時系列に織り交ぜながら編集してあった。
彼らの証言はとてもなまなましく、まさに生き証人であると実感した。
「私以外の全校生徒630人が一瞬にして亡くなってしまった。何のために私だけ生きているのか」と語る女性を始め、それぞれの証言者の言葉ひとつひとつが心にズシリときて、むしろ生き残った人たちの方が不幸だったのではないだろうかとさえ思えてくる。
作品中、彼らの被爆直後の写真が映し出されるが、とてもショッキングで痛々しい。
しかし目を背けてはいけないのだと感じた。
見終わって思ったのは、私は日本人なので、子供の頃から教育現場でこの手の映像や資料を見る機会はかなりあったが、当事者であるアメリカ人や他の核保有国の人々は、ゼロの状態でこの作品を見ているとしたらいったいどのように感じるのだろう。ということであった。
宗教、国籍、思想の違いで捉え方は様々だろうが、ただひとつ確かなことは、同じ過ちをしてはいけない、ということは誰しもが感じるところだろう。
インヴィジブル・ヒロシマ
(2008-08-04)
また8月6日、9日が巡ってきた。このほどこのドキュメンタリーがNHK総合で放送されたのをたまたま目にした。
ドキュメンタリーとは、ある視線、視点のことだ。核兵器は《絶対悪》であるという視点は確固としてある。その視点が極めて傲慢な前提のうえにあると思われた。それが端的に現われているのが、アメリカの大学の授業でヒロシマの映像を見せる講師らしき若い男の発言に見える。
彼らの自己認識は、あくまで将来の自己決定権、自己選択権の揺るぎなさに立脚している。しかし、はたしてそれは確実なことなのだろうか。この視点が揺るがない限り、アメリカは決してヒロシマ、ナガサキから学ぶことはないであろう。
自虐史観云々の感想は的外れどころか、トンチンカンである。問題とすべきは、この視点であろう。オカザキという監督は日系であるが、この前提にほとんど無意識であり、全く見えていない。

